350gと2時間25分で不真面目で陰気な高校生の人生が変わった話。
ミュージカル「さよならソルシエ」初演
日テレプラス
4月22日(月)20:30~
https://t.co/IoWuC7XxYr
私がこよなく愛する、ミュージカル「さよならソルシエ」が、テレビで初放送されることになりました。
こんな感じのミュージカルです。
https://youtu.be/2Zm1EOz24jk
発表されて即、制作会社であるMarvelousと、放送を決定してくださった日テレプラスに感謝の気持ちをぶん投げました。
ありがとうございます。おめでとうございます。
はてさて今回は、この作品と私の出会いを書いてみようかなと思います。
私がこの作品を知ったのは、高校生の頃でした。
それには前置きがありまして。そこから辿ります。
当時、高校で使っていた英語の教科書『Rvised POLESTAR English Course II』にあった「光を求めて~ゴッホ伝~」
という章が、私がゴッホの生涯を知るきっかけでした。
超絶不真面目&半引きこもりな私は、自分の興味がわかないものは全く勉強しない&先生の好みで授業への熱意が変わる面倒なタイプの高校生でした。憧れていた現代文の先生が、3位までの生徒の名前を呼んでくださる(読み上げる)ことから、現代文だけは勉強してました。不純かつ面倒。
脱線しました。
そんな不真面目高校生、英語の先生がめちゃくちゃひねくれていて面白かったので、その先生の話はよく聞いていたと思います。
ただ、ゴッホについては「耳を切った画家」程度の認識。
美術に興味がなかったというか、疎かったのだと思います。
小学生の頃に、チャボのお尻を描いたり、ぐにゃんぐにゃんにひん曲がったリコーダーを吹く友人の絵を描いたり。「見たままを描きなさい」と言われたので、見たままを描いたら「この子ちょっと変」なんて言われたので「絵はよくわからないな」と思ってたくらいでした。高校生当時は華道部でしたが、これまたセンスがなく「芸術ってよくわからないな」って感じでした。
ピアノや吹奏楽、歌などもやってましたが、明確に譜面があるのと、専門的な何かを見ないとわからない芸術ってわからないじゃないですか。
ピカソの伝記は小学生の頃に、よく読んでいた記憶があります。
「いや、なんでこれが教科書に載るんだ」みたいな、冷やかし半分で。あまり記憶はないけれど。
高校の授業で出会ったゴッホの生涯。
衝撃の連続でした。
「一枚しか絵が売れなかったのか…」
「こんな酷い人生をおくっていたのか…」
セオドル?テオドラ?????英語の読み方(?)であるセオドールと読んでいた気がします。
と、いうか。
「弟いたの!?!?」
内容が衝撃の連続すぎて、まるで何か物語を見ているようで、かぶりつくように授業を受けていた記憶があります。
その範囲のテスト返却時、いつもは何も言わない先生が「頑張ったね」と、こそっと言ってくださったのを覚えてます。
そのあと、先生がクラスに向けて
「ゴッホは一度、実際の作品を見てみると良い。君たちはまだ高校生で、安く見られるからチャンスだ。私はゴッホに興味がなかったけど、偶然行った展覧会で初めて見たとき、本文にあったように“触れてみたい”と本当に思った」
のように話していたのも。
でもその時は「ふーん、でもまぁ、芸術ってよくわからないしな」と思って、そのまま聞き流してました。
今考えれば印象的な言葉だったけれど、当時の私には響きませんでした。
そんな感じで不真面目高校生、時は経て。
朝の情報番組は、日テレ派の我が家。その日もZIP。
チューモーク!というコーナーで紹介されていたのが「さよならソルシエ」
その記事がこちら。
http://www.ntv.co.jp/zip/sphone/onair/chumoku/394168.html
中学生になると同時に別冊マー○レットからJUN○Nに、高校生になると同時に某5誌に買いかえ、漫画を手にすることがなかった制服時代。
ゴッホの漫画があること、ガツンとぶん殴られたような衝撃的な絵の美しさ。
その日、制服のまま書店に駆け込み、何年かぶりに漫画を購入。もちろん「さよならソルシエ」
https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=6406
全2巻なので、高校生の安いバイト代でも迷わず購入できました。
そもそも、“歴史創作”と呼ばれるものに、疑問を抱いていた私。
本当にあった出来事を面白おかしく脚色して消費することは、そのとき生きていた人に失礼になるのではないか?事実を曲げることに意味はあるのか?なんて考えたりしていて、なんとなく遠ざけていました。
疑いつつ、空の色をした方を手に取り、ページをめくりました。
絵、言葉、主人公テオドルス・ファン・ゴッホの華麗な立ち居ふるまい、すべてが美しかった。圧倒されるとはこのことかと。
でも、自分の知っている“ゴッホ”とは、あまりにもかけ離れていて、不思議でたまらなかった。
歴史創作とは、やはり難しいものなのかなと思いながら、暖かみのある色をした方に手を伸ばす。
気づいたら、声をあげて泣いていた。
絵画なんて。漫画なんて。歴史創作なんて。
そんな風に思っていた、凝り固まり始めていた、ちっぽけななにかは、もういなかった。
ただひたすらに、涙が止まらなかった。切なくて、ページを捲る掌が痛くなった。苦しくて、体を折り曲げて泣いた。
魂を削りながら読んだ「さよならソルシエ」を閉じ、空っぽになったような感覚があった。
それまでの価値観や自分から見えていた小さな世界が、全部流れ落ちた。
「さよならソルシエ」と出会って、世界が変わった。
具体的に何が、といわれると、答えられないかもしれないです。けれど、すごく毎日が楽しくなったことだけは言えることです。
この作品に出会えて、また新しいたくさんの素敵な作品に出会えた。たくさんの素敵な人に出会えた。
テオドルスとフィンセント、その彼らを生み出した穂積さんが私の世界を変えてくれた。
制服でひとり、この本を抱えていた私も、いつしか堕落大学生になっていました。
堕落大学生、ある日の放課後、Twitterで衝撃を受ける。
「さよならソルシエ、ミュージカル化決定!」
http://www.marv.jp/special/m-sorcier_2016/
正確には、ミュージカル化が発表されて2ヶ月後、主演おふたりのメインビジュアルが公開された日でした。
まさかこの作品が、メディアミックスされる日が来るなんて思いもしませんでした。
それが、ミュージカル化。ミュージカルということは、歌って踊るテオドルスとフィンセント。
想像ができない。何が起こっているんだろう。
あれよあれよとチケットをとって、2016年3月17日、ミュージカル「さよならソルシエ」(初演)初日。
その半年前に、この作品の演出家である西田大輔さんの「もののふ白き虎」を観ていたこともあり
「そこから始めるのね、攻めるね(にやにや)」
と、勝手に挑戦状を叩きつけられた気持ちでした。
舞台の感想は前の記事(※ミュージカルさよならソルシエ未視聴or未観劇の方は見ないでください!ネタバレしかない!)にて。
M1「ギフト」が終わったとき、ぼろぼろと泣くばかりで、身動きが取れませんでした。
曲の終わりに一瞬、間がありました。そして、飽和状態にあった熱気が爆発したのような拍手。
私は今でも、この日のあの熱気を形容する言葉を探していますが、到底見つかりそうにありません。
また、世界が変わった。
たぶん、この日、まわりはじめた。
変わりすぎだろって、思われてしまうかも。
でも、「さよならソルシエ」に出会って私の世界は変わったし、ミュージカル「さよならソルシエ」に出会って私の世界は回り始めた。
魔法にかけられた、5日間でした。
それは解けることなく、今でもずっと、苦しいくらいに続いています。
作中に出てくる“恋”が、この世界でも通じるのならば、これは“恋”だと。
ミュージカル「さよならソルシエ」を観てから、初めて美術館に行きました。この目で、ゴッホを見てみたいと思ったから。
もちろん実在したフィンセント・ファン・ゴッホやテオドルス・ファン・ゴッホと、彼らは別人。
でも、彼らが描いた絵を夢を、見てみたかった。
どんな気持ちで描いたのかな、この絵の具にはどんな想いがのっているのかな。
また一歩、世界に踏み出した瞬間でした。
翌年の再演の際に作られたナビゲーション動画が、作品の雰囲気を掴みやすいので、もう一度貼っておきます。
https://youtu.be/2Zm1EOz24jk
(主に初演の映像を使った宣伝動画で、再演は一部キャスト変更あり)
この作品が、テレビで見ることができる。
情報も娯楽も多様化する現代で、無防備に受け入れられるテレビ。
彼のした展覧会のように、何かのきっかけになるかもしれない。
この作品は、ゴッホの歴史創作ではない。
兄と弟の物語でも、愛と嫉妬の物語でもない。
その、全て。
心が震える。魂が揺さぶられる。世界が変わる。
少なからず、田舎の引きこもり陰気な高校生の人生は、変わった。
彼らの夢は、夢じゃなかった。
彼らの夢は、現実になった。
夢を現実にする共犯者になる、虚構と現実の境界線が崩れる空間。
それが、ミュージカル「さよならソルシエ」。
再演の映像が残されているにも関わらず、一度世に出たきり、儚く消えてしまった4日間の夢。
「さよなら」を言わせてくれない彼とした、いつかの日の再会。
まずは、この日の成功を祈って。
日テレプラス
ミュージカル「さよならソルシエ」初演
2019年4月22日(月)20:30~
https://t.co/IoWuC7XxYr
たくさんの努力と愛と想いに、心から感謝します。
まだ見ぬ誰かの世界が、少しでも鮮やかなものになりますように。